Marica's Adventure Time

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🌈レインボープライド2018 私のジェンダーに対する意識🌈

皆様こんにちは、Maricaです。

 

今日は

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

に沿って、本日東京で行われている

レインボープライド2018にまつわるお話について書かせていただきます。

毎年ゴールデンウィークにはこの行事にインスパイアされています。

 

 

固定観念が生まれる訳

 

ジェンダーとは何か

皆様は深く考えたことがありますか?

 

私は、小学生まで

「世の中には女性と男性がいる」

「女性は男性を好きになり、男性は女性を好きになる」

「女性は男性と結婚し子どもを育てる」

「男性は女性と結婚し朝から晩まで働く」

という固定観念しか持っていませんでした。

 

私は生まれてから小学校を卒業するまで

いわゆる公務員宿舎という

集団住宅地に住んでいました。

そこでは

男女の夫婦がいて

その間に子供がいて

母は家事育児をし

父はスーツで朝家を出て

夜に帰ってくる。

という家庭がほぼ100%でした。

 

私の母は看護師をしていましたが、

それでも家事と子育ては母がしていました。

 

そのような環境で育った私は、

それが当たり前、それが普通

と自然に思うようになったのです。

 

これは誰のせいでも

悪いことでもありません。

 

子どもが環境に適応すること

そしてその環境を普通であると認識することは

自然です。

 

様々な固定観念が生まれるのも

私たちが日々触れる

「環境」

によるものであると思います。

 

しかしその自然に対して

なぜなのか、という

疑問をなげかけること

それは人間の義務であると思います。

 

ミッショナリースクールでの学び

 

私立のキリスト教系の中学に進学し

そこで隣人愛という概念を学びました。

隣人愛とは、

「その人がその人らしく存在することを認める」

ということです。

その人を好きになるということではありません。

その人に深く関わり合うということでもありません。

実にニュートラルな概念です。

 

その根本にあるのは

自分は自分

他人は他人

自分の普通は他人には通用しない

自分は他人を変えることはできない

同様に

他人の普通を自分に通用させる必要もなく

他人によってではなく自分を変えるのは自分自身である

という考え方なのです。

 

自分と他人の違いを認めること。

その上で、自分の良心に従った生き方を選択すること。

 

そういったことを中高時代に学びました。

 

私は目が覚める思いがしました。

 

もともと勝気で負けん気が強い性格でしたので

自分の思い通りにならないことや

理解できない他人の行いに出会うと

いつもストレスを感じていました。

 

しかしこの隣人愛という言葉の

真意を学んだことで

 

自分の自由、そして他人の自由を

認められるようになりました。

 

自分の心が惹かれるモノや人を選択し、

良心にそぐわないものは無理に選択しない、

という柔軟な生き方ができるようになりました。

 

衝撃連発のドイツ生活

 

また大学生時代の一年間のドイツ留学で

さらに多様性という言葉を

自分の身をもって理解することが出来ました。

 

ドイツは

一言でいうと、

自分の常識が一切通用しない世界

でした。

 

強い口調、時間に対する意識の緩さ、

建前のない会話、派手な服装、派手なメイク

道端にあふれるたばこの吸い殻、

物乞いの人々、貧富の差、

騒音、人目を気にしないカップル達・・・

 

数えきれない衝撃の毎日でした。

しかしよく考えてみればこれらの言葉は

私の日本での生活から生まれた

固定観念を通して物事を判断したために

生まれてきたにすぎないのです。

 

日本に帰国するころ、

私の捉え方は次のように変わりました。

 

相手に理解されやすいはっきりとした言葉遣い、

時間が遅れても慌てずに対処できる、

正直な意見を率直に相手に伝える能力、

自分を自由に表現する服装やメイクアップ、

外で吸う分室内禁煙は徹底している、

無職であっても社会に居場所がある、

自分がにぎやかにする分相手が騒がしくても許容する、

愛し合っていることは素晴らしいこと。

 

 

物事は

それを捉える視点によって

いくらでも意味を変えます。

 

そのことを、肌で実感した留学でした。

 

私のジェンダーに対する意識

そういった経験を踏まえて、

私は

ジェンダーとは

性的嗜好という

形のないものを

人々に分かりやすく定義するための

枠組み

であると理解しています。

 

本来どういった人や物を好きになるか

どういった性的嗜好を持つか

ということは

人それぞれです。

 

つまり本来は「これだ!」という定義ができないものです。

そこになんとか共通点を見出して

分かりやすくした分類という訳です。

 

だから、私は何人とも

その枠にとらわれる必要は一切ないと思っています。

 

私自身は、

(生物学的分類としての)

女性を好きになることもありますし、

男性を好きになることもあります。

 

それはジェンダーのカテゴリーでは

バイセクシャルと言われるものです。

 

しかしどんな人間にも好意を抱くかというと

全く違います。

それは一般にストレートといわれる皆さんも

同じことだと思います。

 

ジェンダーを宣言することは

他者が分かりやすいという

便利な側面もありますが

他人に短絡的な思考をもたらしてしまう可能性もあります。

 

 

そんなことを言っていたら何も言葉で表現できなくなるだろう!

という最もな批判が聞こえてきそうですが、

ご容赦ください。

大切なのは、それが枠組みでありそれ以上でもそれ以下でもないという理解なのです。

 

最後にお伝えしたい事

私は、

ジェンダーという概念に

注目し始めた現代社会が、

ジェンダーという概念にとらわれない

一人ひとりの嗜好を許容する社会に

変わっていってほしいと思っています。

 

長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。

これからもこういった深い内容もブログに書いていきたいと思います。

少しでもご興味を持っていただけましたら、

是非ブログ読者登録お願いいたします♪

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